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「共産主義」とは?

 何かと厄介な共産主義国家、近隣に2つもある(中国と北朝鮮)。が、今ある共産主義国家は表皮、つまり「うわべ」だけ共産主義と名乗っているだけで、実は中味は帝国主義、独裁主義である。なぜこんなに悪いのか。いや実は共産主義の考え方は特に悪いものではなかった。それが長い歴史の中で、共産主義国家成立の過程で、大きな過ちがあったためだ。

共産主義の誕生
 そもそもの発祥は1847年にマルクスエンゲルスという2人のドイツの政治学者が発表した「共産党宣言」だ。その内容はー
 仕事場では2種類の人間がいる。1つは資本家で、労働者を雇用して利益を上げている。もう1つは労働者で、労働力を提供して代わりに賃金を得ている。この関係では資本家の力が強く、労働者は「過重労働・低賃金」になりやすい。そこで、「万国の労働者は立ち上がれ!団結して資本家を倒すのだ。そして、労働者の国を作ろう!」―
というものだ。当時のヨーロッパでは、ほとんどの労働者は極端な「過重労働・低賃金」に苦しめられていたものだから、この考えは底辺労働者を中心に各国に広まっていった。そして各国に労働者による政治を目指す「共産党」が結成されていった。

ロシア革命
 ロシアでは「ボルシェビキ」と呼ばれる共産党が次第に勢力を拡大し、ついに1917年、当時のロマノフ王朝を倒し、革命政府を樹立した。労働者が喜びに沸き立つ中で革命政府は次のロシアの指導体制を決める「選挙」を実施することにした。まあ、ここまでは良かった。しかし、選挙の結果はどうなったかというと、なんと穏健な資本主義を主張する「メンシェビキ」が勝利してしまった。思いもよらない結果にレーニンをはじめとするボルシェビキの指導者達は動揺し、嘆いた。しかし考えた。革命の主な担い手は我々「ボルシェビキ」ではないか。「メンシェビキ」は側面から協力したに過ぎない。よって、より功労の大きい我々がロシアを指導するのが正統である。
 ボルシェビキ共産党)」はついに武装蜂起し、クレムリン(王宮)を占拠した。「メンシェビキ」は追放され、選挙は「もともと無かった」こととなった。ここが「悪」への分岐点だった。武力で実権を握ったボルシェビキは新しい政府を樹立した。た。その名はソビエト(ロシア語で「会議」という意味)。しかし、他国では議会にあたるその最高会議はボルシェビキ党(共産党)員だけの会議であった(他の政党は会議に参加できない)。またボルシェビキ幹部の権限が非常に強いので全ての物事が幹部の思い通りに決められてゆく。従って最高会議は幹部会議の追認機関と化し、実態のある討議は行われなかった。

スターリンの台頭
スターリンは下級幹部であったが、軍部、警察に大きな影響力があったためしだいに政権内部で力をつけ、ついに最高指導者となった。そして、彼の最初の仕事は国外に逃亡した実力者No,2のトロッキーの暗殺であった。その後、彼は「病的」と言われるほど、気に入らない者達の処刑や暗殺を続けた。彼がシベリア送りにしたり虐殺したりしたユダヤ人や反体制派の数は、2万人とも3万人とも言われている。そして、1953年にこの世を去るまで実に30年以上独裁と恐怖政治を展開してゆく。

周辺の国々へも波及
第二次大戦でソビエトによりドイツや日本から軍事的に開放された国々では、ソビエトの影響力が強く、その地域の共産党が政権を担うようになった。そして、政治スタイルはソビエトをそっくりマネた。共産党だけが唯一の正しい政党であり、他の政党は不要(禁止)となった。そっくりマネたのでやはり共産党幹部の力が強く、議会は幹部会議の追認機関と化し、実態のある討議は行われなかった。中国では最近までこの「幹部運営」方式だったが、現在は習主席へ権力の一本化が進められている。北朝鮮では金日成の力が非常に強かったため、少しでも意見を異にする他の共産党幹部はいつの間にかこの世からいなくなっていった。

日本の共産党
海の外側からソ連や中国、他の共産圏の国々を見ていた日本の共産勢力は武力での政権奪取や共産党独裁は疑問視した。ソ連や中国の状況は「労働者の幸福」になっていない、と判断した。そして、あくまでも公正な選挙で政権の座を勝ち取ることにした。なので、同じ共産党でありながらソ連や中国とは仲が良くなかった。底流にはマルクスエンゲルスの共産思想がありながら、民主主義も並立して重視している。ただ子供の頃から難しい政治の本をたくさん読みこなしている人が多いので、一般人から見ると政治思想的でやや近寄りがたいところがある。

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