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日常生活から漢字を減らして

 「日常生活から漢字を減らして、減った分英語を憶えましょう。」ーこれはある外国人講師の発言です。なるほどね、と思った。日本は加工貿易で栄えている国。外国から石油や鉄鉱石などエネルギーや原材料を仕入れ、高度な製品を作って外国に売って稼ぐ。つまり、外国語、特に英語は必要な道具。人が記憶できる量は限られているから、世界共通の言語の方を増やしましょうということだ。
 一方、日本語。先日、阿倍首相が「阿部」と書かれた自分への名札を見て怒ったという。「私は安倍だ。阿部ではない」。あべ苗字は他にも安部、阿倍などがある。人はそれぞれ自分の名前に誇りを持っており、いつまでも自分の正しい名前を憶えてくれない人には怒りを感じてしまう。皆さんも取引先やお客様の名前は正確に憶えるのに苦心しているはず。自分の顧客にも「己義さん」という名前の方がいるのですが、書類を書く時は己を已、巳と間違えないよう、特に本人宛に郵送する書類には神経を使います。(己と已の違いーわかりますか?)
 普段あまり使われていない漢字を使える人は尊敬の対象になったりもする。最近は、「宜しくお取計らいをお願いします」、「酷い実態が晒された」などとなかなか読みにくい、意味の分からない漢字を使う人もまた増えてきている。他には、「漁獲・収穫」(「かく」の字の左側(辺と呼ばれる部分)が違う)など。
さて問題です。
   問題1:「英単語を覚える・英単語を憶える」「現れる・現われる」ーそれぞれどちらが正しいかわかりますか?

 このように今の日本語はやたらと難しい。こうゆうところで、特に仕事においてはやたらと時間を食ってしまう。そこで、例えば「かく」は「穫」に統一してしまえばいいのにと思う。こう書くと、国語教師、国語学者などから猛反発が起こるだろう。「「犭」は野生のものを得た時に使用する。「禾」は人間が栽培した穀物などを得た時に使用する。きちんと由来があり、書き分けなければダメだ。」と。由来からすれば確かにそのとおりだが、だからといってそんなにこだわる必要があるのだろうか。どんな場合でも、「かく」は「穫」に統一してしまえば格段に楽になる。日本語を専門にやってきた人から見れば気持ちが悪いのだろうが、そもそも「獲・穫」を使い分ける必要性があるのだろうか、使い分けなければ日常生活や仕事に何か支障があるのだろうか。「切る・斬る」だって「切る」に統一されましたよね。(「斬る」は、あえて粋な表現をしたい時や時代劇くらいにしか使われないようになった)
 
 今、日本の企業はどんどん海外へ進出している。途上国の月給は最近値上がりしているとはいえ、最高のタイ国でさえも平均8万円。途上国の人件費が魅力的であるかぎりこの傾向はますます加速するだろう。最近は新規採用の面接で「海外勤務もOKか?」と聞かれることも多いそうだ。採用者は途上国の工場で管理職として期待されている。つまり、英語はますます重要となっている。外国人講師は自分たちの仕事を広げたいために冒頭のように言ったのだろうが、現実の情勢を見た場合、的を得ている意見だろうと思われる。「漢字、ひらがなは二千年の歴史ある美しき日本の文化だ。」といった民族の誇り、郷愁で生活はしてゆけない、現実問題として漢字を減らし統一してゆく、その分英語(特に会話)を増やしてゆく方向が日本のとるべき道ではないかと思う。

追伸:今の日本の学校英語はおかしいので、今のままの教育では英会話力は「ペーパーテストが優秀な生徒でも初級どまり」で伸びないでしょう。
現状では、英会話中級以上へ行ける生徒は外人と接する機会がある生徒だけでしょうね。
この件については詳しくは、僕のHPで。

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